歴史好きの男性を惹き付ける隠れた名所「徳蔵寺板碑保存館」

会社の昼休み、休憩所などで歴史談話を交わしている同僚を見かける機会がありませんか?打ち上げなどの飲み会の場でも然り……。戦国時代の武将の生き様や、歴史の分岐点となった出来事に関する解釈、はたまた古典文学と史実との関係など。歴史にまつわる話に夢中になる男性は多いはず。

過去にあった出来事を調べたり考えたりすることで、自分にとっての新たな発見をすることを「温故知新」と言います。毎日を多忙に過ごすビジネスマンにとっても、歴史に学び、その教訓を日々の仕事や暮らしに活かすことができる場面は多いはずです。

東京都内でありながら豊かな自然を多く残す狭山丘陵に、鎌倉時代末期の貴重な文化財に出会える場所があります。戦国時代から450年以上の長い歴史を誇る徳蔵寺の中に設けられた「徳蔵寺板碑保存館」。

ここには、太平記に主人公の一人として登場する新田義貞。元弘の乱の際に討ち死にした三人の家臣を供養するために、その一族が建てたとされる碑板(いたひ)が展示されています。「元弘の板碑」と呼ばれる国指定の重要文化財です。他にも貴重な碑板約170基をはじめ、数多くの歴史的な展示物が並びます。

「徳蔵寺板碑保存館」の住職・朝木さんに伺ったお話を基に、その魅力をご紹介します。

古き時代の人々の心に想いを馳せることができる貴重な場所

まずは歴史をおさらいしましょう。1331年、弱体化した鎌倉幕府を倒幕するために後醍醐天皇が挙兵しました。これが「元弘の乱」です。このクーデターは失敗に終わり、後醍醐天皇は隠岐島に配流されます。しかし、それをきっかけにして、各地の武士が倒幕に向けて本格的に動き始めます。

楠木正成も後醍醐天皇に共鳴して、反幕府勢力の組織化のための活動を開始します。その後、1333年には後醍醐天皇が隠岐島を脱出すると同時に、各地の武士が相次いで挙兵。鎌倉幕府は足利尊氏を中心にした討伐軍を京都に向かわせますが、尊氏は後醍醐天皇側に寝返ります。

その頃、関東では新田義貞が挙兵。上州(群馬県)から鎌倉に向かって南下しました。強固な防衛線を設けていた鎌倉幕府ですが、義貞によって突破されます。そして最後は稲村ヶ崎の合戦を経て鎌倉の北条氏を滅亡させました。これによって鎌倉幕府は140年以上に及ぶ歴史に幕を閉じたのです。

この戦の際に新田義貞は貴重な家臣を亡くします。飽間斎藤三郎藤原盛貞をはじめとした三人の家臣を供養するために建てたのが「元弘の板碑」なのです。

館内2階には、中世日本の仏教で供養塔として建てられた板碑を多数展示

ガラスケースの中に「元弘の碑板」が展示されている様子▲ガラスケースの中に展示されているのが「元弘の碑板」。その脇には、鎌倉の稲村ヶ崎で龍神に献刀する新田義貞を描いた絵も

板碑というは、中世日本の仏教で多用された供養塔です。設立されていた時期は鎌倉時代から室町時代前期に集中していて、地域も主に関東地方に分布し、鎌倉武士の信仰に深く関わっていたと言われています。

目的としては三つが考えられるそうです。一つは、そこにお骨はないのですがお墓としての意味合いで塔婆のように建てられたもの。また一つは、自分たちが亡くなった時のことを考えて建てられたもの。そして、お地蔵さんのように拝んでお祀りする対象として建てられたもの。

その風習は室町時代後期になると急に廃れ、いまではほとんど建てられることはありません。そんな貴重な碑板が、「元弘の碑板」をはじめとして約170基も展示されている「徳蔵寺板碑保存館」ですから、歴史好きの男性にとっては一度は行ってみたい場所なのではないでしょうか。

「徳蔵寺板碑保存館」2階に展示されている多数の碑板

板碑以外にも2階の展示スペースには、宝篋印塔、五輪塔、道標など、歴史的な遺物が多数展示されています。一つひとつをじっくり閲覧していると、時間はいくらあっても足りないほど引き込まれます。

板碑を含めたこれらの展示物は、この地域のあちこちに放置されて散在していたものを、先々代のご住職が「かわいそうだ」という思いで一つひとつ集めていらっしゃったそうです。そのご住職の気持ちに共鳴した方々から寄贈されたものも多いのだとか。それぞれの碑板に込められた昔の人々の想いと共に、住職の暖かな心も感じることができるはずです。

「徳蔵寺板碑保存館」2階に展示されている宝篋印塔、五輪塔、道標など

1階の展示スペースにはこの地域で出土した石器・土器や、古民具なども

板碑や五輪塔、道標などと同じように、この地域に散在していた貴重な歴史的資料が展示されているのが1階の展示スペースです。中でも注目するべきは、東村山市の有形文化財になっている獣脚付蔵骨器です。こちらはその名のとおり、つぼ型の蔵骨器です。

1階に展示されている獣脚付蔵骨器

蓋付きで3本の獣脚に支えられたもので、須恵質という古墳時代の後半からつくられた、青黒色で硬質の陶質で作られた土器。中にあった人骨や木炭の放射性炭素で年代測定した結果、奈良時代末から平安初期の約1200年前のものと鑑定されています。

「徳蔵寺板碑保存館」1階展示スペース

「徳蔵寺板碑保存館」1階展示スペース

「徳蔵寺板碑保存館」1階展示スペース

「徳蔵寺板碑保存館」1階展示スペース

先代のご住職は、先々代とは別の意味で歴史的に貴重なものを集めました。かつて、人々の暮らしの中で使われていた生活用品や住宅の材料なとです。この地域の住居が取り壊される際に捨てられてしまいそうだった茶がめや石臼、石棒、古銭そして屋根に使用されていた国分寺瓦などなど。

その当時は珍しくもなんともなかったものですが、時を経て世代を重ねた時には、きっと貴重な資料になるに違いありません。令和の時代のいま見ても、すでに新鮮な驚きを感じずにはいられないはず。この時代の人々の暮らしを知ることで、自分の暮らしにも新たな発見をする。まさに「温故知新」。ここに何度も足を運ぶ方がいらっしゃるのも分かります。

450年以上の長い歴史を誇る徳蔵寺の来歴

徳蔵寺本堂の様子

徳蔵寺は、永禄3年(1560年)に創立されたと伝えられています。450年以上の長い歴史の中で、永春庵と正位寺とが統合されて、いまに至っています。徳蔵寺の本尊は白衣観世音菩薩は、新田義貞公が元弘3年(1333年)に鎌倉を攻めた際、藤原氏盛貞公が戦勝を祈念して安置したと考えられています。

永春庵というお寺は当初、八国山にある将軍塚の南、丘の中腹にありました。寛永15年(1638年)徳蔵寺三世の開祖で、後に徳蔵寺第五世の方充和尚大禅師が中興しました。「元弘の碑」はもともと永春庵境内に建っていたそうで、その後、江戸時代中期、永春庵が徳蔵寺の境内に移された際に「元弘の碑」も移されたといいます。

「元弘の碑」に関する最古の記録は、天明4年(1784年)野口村絵図写(徳蔵寺板碑保存館蔵)に徳蔵寺持と記され、その境内に三士戦死之古墳と記入されています。古墳は「元弘の碑」のことと思われます。

もうひとつの寺院、正位寺はもともと昌永寺という名で寛永17年(1640年)、梅岩寺の末寺として建立されました。その後、安永7年(1778)に正永寺として、徳蔵寺に譲り渡されていて、正位寺と改められました。

三つの寺院のそれぞれが、この狭山丘陵の地に昔から人々の暮らしに溶け込み、地域の人々の心の拠り所になってきたことは間違いありません。

10体の正位寺跡地蔵尊

徳蔵寺の境内には10体の正位寺跡地蔵尊が並びます。これは明治の時代ごろに、徳蔵寺の境内にある正位寺の境内参道脇に移転されました。現在では、江戸時代末期に当寺の檀信徒により寄進された六地蔵尊と共に、新築された地蔵堂内に仲良く並んでいます。

境内にある茶室の様子▲境内の中、通路の左側には、趣のある茶室「虚心庵」がある

歴史的な展示に加えて、徳蔵寺の周辺では豊かな自然の中の散策も楽しめる

徳蔵寺は、武蔵野三十三観音霊場、狭山三十三観音霊場としても親しまれています。また、お寺のすぐ裏には八国山という小高い丘陵があります。豊かな自然とともに、いまでも江戸時代の地形や道筋を残し、散策の場として愛されています。

八国という名称は、上野、下野、常陸、安房、相模、駿河、信濃、甲斐の八カ国の山々が眺望できることから名づけられたとも。鎌倉時代の古戦場だったこの場所の山頂には、新田義貞が久米川の戦いの時に布陣して旗を建てたとされている場所に将軍塚が建立されています。

ジェンダーレスな時代ではありますが、かつて国のため家のために潔く戦ったもののふの生き様に憧れる男性も多いのではないでしょうか。大切な存在を、命を懸けて守った武士たちの心意気に想いを馳せるには最適な場所のひとつ。

徳蔵寺から八国山に登ってゆくと、西武園を通り抜けて、多摩湖に隣接する都立狭山公園まで通じる遊歩道もあります。徳蔵寺から多摩湖までは、歩いて約30~40分。デートコースとしても新鮮なはず。夏が過ぎ、空気が涼やかになる季節になったら、歴史探訪と自然散策を兼ねて、「徳蔵寺板碑保存館」を訪れてみるのはいかがでしょうか?

「徳蔵寺板碑保存館」の口コミ

「徳蔵寺板碑保存館」を拝観した方々は、どのような感想を抱いているのでしょうか。ここでは、拝観者の方々の口コミをご紹介します。

新田義貞が鎌倉攻めをした頃を知る板碑が多く展示されています。この場所は、鎌倉への進軍ルートだったことを知りました。板碑は各地から集められたものもあり、他にも縄文時代からの土器などもたくさん展示されています。

国指定重要文化財の元弘の碑など、貴重な資料が展示されているので一見の価値あり。入場料200円は、お寺のインターホンを押してお支払いしてください。

1階には土偶や銅鐸、古銭の展示が、2階には板碑を中心としたここでしか見られない展示もあり地域の歴史を深く学べます。

北多摩の貴重な歴史資料(板碑)が数多く収蔵されています。なかなか勉強になる。時間をかけてじっくりまわりたい。

展示物が多く、何回も来る必要があると思いました。出口にポストカードがあり嬉しいです。

歴史が好きな男性にとって興味深い展示が数多くある「徳蔵寺板碑保存館」は、遠い時代に夢を馳せることができるロマンに満ちた場所のようです。東京・新宿から1時間少々で着くことができるアクセスの良さですから、機会があれば拝観に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

「徳蔵寺板碑保存館」の基本情報

運営 宗教法人 徳蔵寺
所在地 東京都東村山市諏訪町1-26-3
拝観時間 9:00~17:00
拝観料 大人 200円
小中学生 100円
駐車場 第一駐車場:15台程度


第二・三駐車場:60台程度
休館日 毎週月曜日
お問い合わせ 042-391-1603(平日9:00~17:00)
公式HP https://tokuzo-ji.jp/

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